感想【ソクラテス 田中美知太郎(岩波新書)】

「ソクラテス 著:田中美知太郎」の感想など

岩波新書から出版されている「ソクラテス 著:田中美知太郎」を読み終えた。今回の記事では、当書の内容に対する感想や当書を読んでみて思ったことなどを書いていきたいと思う。

 

「ソクラテス 著:田中美知太郎」を読むことになった理由

西洋哲学には、少しだけではあるものの興味があった。西洋哲学に興味を持ち始めたきっかけは話し始めると長くなってしまうので割愛して、当書を手に取ったきっかけから話していきたいと思う。

「西洋哲学史 著:今道友信」という本を読んでいく中で、ソクラテスと出会ったことがきっかけだった。この本は西洋哲学の入門書のようなもので、紀元前から近現代に至るまでの西洋哲学について幅広く記してある。

私のソクラテスについての認識は、プラトンやアリストテレスと並ぶ偉大な哲人であることは知っていた程度のものであり、ソクラテスの思想や具体的な哲学理論までは理解が及んでいなかった。そのため、この本で初めてソクラテスの実態に触れたのだった。この本でのソクラテスの印象は「善い人間であることをひたすらに説く」というものであり、その点が私の関心を強く引き寄せた。

私の考え方の中心には「善い人間であるべき」という信念や信仰にも似た思想がある。このように表現すると大層なものに聞こえるが「善い人間でありたい」という思いが、その他の自分の思いよりも強いだけだ。

そのような考え方を持っていた私にとって、ソクラテスの思想は関心を引くとともにとても共感できる気がした。もっとソクラテスについて知りたい。そう思ったことが当書を手に取ったきっかけである。


「ソクラテス 著:田中美知太郎」に対する感想

まずは初めに、当書はソクラテスの哲学を深く掘り下げるための書物ではないことを断っておきたい。ただ、ソクラテスの哲学に関してまったく触れていないことはなく、むしろソクラテスの哲学がどのような環境で育ち、遂行されていったのかという根本的な部分まで立ち戻っているため、その点から考えるとソクラテスの哲学だけではなくソクラテスそのものを掘り下げるための本といっていいのではないかと思う。

私の当書に対する感想を中心に話していきたいので、当書の詳しい内容については割愛する。当書において、私の関心を特に引いた箇所を3つにまとめよう。本来であれば、もっと多くの箇所に関心を引かれていたのだけど、全てを話していてはあまりにも長くなるし話し切れる気がしないので、3つにまとめて話していく。

1.「徳」

まず1つは、ソクラテスの哲学の根幹といえる「徳」について。ソクラテスの哲学において、人間の幸福には徳が必要であるという主張が根幹に据えられている。

ソクラテス曰く、この徳というのは魂をすぐれたものにすることであり、すぐれた魂とは、人間としての能力がすぐれているとか所有している財産の有無で決まるものではないそうだ。例え、そのような有形の財産をいくら手にしていたとしても、徳を持たない人間に幸福は訪れないということをソクラテスは繰り返し主張していたらしい。

この点については、激しく同意した。私は、この有形の財産と呼べるものはほとんど持っていないと言えるだろう。仮に持っていたとしても、私自身その財産を財産と認識しておらず私にとって重要ではないので、この財産を持ってすぐれた人間であると思うことはない。

私が私をすぐれている認識できるのは、自分の中にある善に従ったときだ。この点から、ソクラテスの徳を重んじた哲学理論と重なる部分が多いことが分かり、強く共感できたのだった。

2.「無知の知」

2つは、ソクラテスの有名な言葉「無知の知」である。これを端的にいうと、「知らないことを知ったふりをして振る舞う人間よりも、知らないことを知っている私のほうがすぐれている」ということだ。デルフォイの神託という背景があった上で「無知の知」が登場するのだけど、長くなってしまうのでデルフォイの神託については割愛する。

知らないことを知るというのは、意外にも難しいもので、多くの人がイメージによる決めつけで知ったふりをしてしまうのだ。そしてそれをあたかも自分の知であるかのように振舞ってしまう。

私は思う。本当のことなんて、誰にも分からない。テレビで批判されている政治家の真意なんてものは全く分からないし、一緒に住んでいる家族でさえも、その腹の底までは読み取ることができない。あくまですべて推測だ。そして、推測であるからこそ問答を重ねることが大切だと思う。

「本当にそうなのだろうか?」と問いを重ねることで、限りなく真実に近づくことができるのではないだろうか。哲学とは問いの学問と言われる。だからこそ、「無知の知」を自覚することは哲学においてもとても重要だ。日常においても、決めつけで判断することはよろしくない。それは無知を自覚できていない証拠だからだ。

3.ソクラテスの処刑

3つは、ソクラテスは幸福のうちに処刑されていったことだ。この情報は確実性が決して高いとは言えないらしいが、私の心を強く掴んだ。ソクラテスは、不条理にも思える理由で処刑されていった。しかし、ソクラテスはその処刑を抵抗することなく受け入れたという。

詳しくは長くなるので話せないのだけど、簡単にいえば、ソクラテスは自身の哲学に沿って死を受け入れたのだ。ソクラテスの処刑は、ソクラテスの思想が危険と判断されたせいである。だから、裁判において「ソクラテスは自身の思想が誤りであることを認めよ、認めれば命は助かる」みたいなことを言われたのだ。しかし、ソクラテスは自身の哲学と思想に従い、それを曲げることなく処刑を受け入れた。そしてそれはソクラテスにとって、すぐれた魂を体現した形になったといえるのかもしれない。

すぐれた魂をもった善き人間であるという幸福のうちに処刑されていった、私はそう解釈した。私は、自分の考えを不安に思うことがある。資本主義社会で強く生きるためには、徳に従って生きるよりも徳にこだわらず目の前の幸福を優先して生きるほうが、幸せなんじゃないか?と思ってしまうからだ。しかし、処刑を受け入れたソクラテスから、それは必ずしも幸福には結びつかないという思想を知った。そして、私の考え方は間違いじゃないと思うことができた。これは私の人生において大きな影響となるかもしれない。

もちろん、当書だけで影響されたのではなくこれまでに知ったことや学んだことの上に、当書の影響というものが積み重なってくる。自分の思想が揺らぐことは往々にしてあるが、私が当書のソクラテスに感銘を受けたように、知ったこと体験したことで自身の思想は肉付けされていくのかもしれない。

「ソクラテス 著:田中美知太郎」の感想をまとめ

当書は、プラトンの著書の補足的な意味合いが強いらしく、当書のみでソクラテスの哲学を知ることはできないそうだ。ソクラテスについて深く掘り下げるためには、プラトンの書物を読む必要がある。時間があればそちらの本も読んでみようかと思う。

 

 

ソクラテス (岩波新書)

ソクラテス (岩波新書)