村上龍「コインロッカーベイビーズ」の感想。を書きたいけど言葉にできない

村上龍「コインロッカーベイビーズ」を読了したので感想

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

1980年に初版が発行された村上龍の小説、「コインロッカーベイビーズ」を読了したので感想を書いていく。

つもりなのだが、書けるかどうか自信がない。

「コインロッカーベイビーズ」は、村上龍の作品の中でも世間的な認知度が高く、読書が好きな人達からの評価も高い、いわば代表作のようなものだ。

しかし、その内容は実に取っつきにくい。

私がそう思ってしまった理由は、比喩表現が多くて文章の意味をくみ取りきれなかったからだ。文章そのものの意味は分かっても、村上龍がどんなつもりで、その文章をそこに入れたのかが分からない。

文章も難解なものが多く、文字を追っているだけで疲れてしまう。私は村上龍の文章そのものが好きなので、心地のよい疲れではあるのだけど。

だから、感想を上手く書けるかどうか自信がないのだ。しかし、感想を書けないならこの記事を書く意味がないので、自分の中に芽生えたはずの気持ちや思いを、なんとか掘り起こしてみようと思う。

 

キクはハシのために、ダチュラを使って13本の塔がそびえる世界を壊そうとした。ハシは自分の居場所を求めて、13本の世界で生き抜こうとした。

13本の世界で生き抜こうとするハシに、私は自分を重ねた。コインロッカーの試練を生き抜いた後、もがくように13本の世界に縋りつくハシ。私も同じだ。私にとって社会で生きることは、13本の塔に縋ることと同義である。

その中で居場所を欲しがっている。ときには、世界なんていらないと拗ねてみたりもするが、結局ここに帰ってくる。

キクとの重なりを感じる場面もあった。それは、キクが母親を殺してしまい後悔の念に苛まれた後、山根の暗示を受けて「あれは母の最大級の愛だったのだ」と気付くシーンである。

心臓の音を思い出せ、母親は自らの死をもってキクにそう教えた。そのことに気が付いたキクは、もう迷わなくなった。何故なら、心臓の音が居場所になってくれるからである。心臓の音さえ忘れなければ、人はひとりでも生きていける。母親はそれを知っていた。これから先、さまざまな困難と戦わなければならないであろう我が子に、最も強力な武器を授けたのである。

私には母親がいない。しかし、このシーンは何故か理解できる。母親とはそういうものであると思っているからだ。

13本の世界を壊すためには、13本の世界で生きるためには、心臓の音が必要だった。ハシは手に入れられなかったけど、キクは手に入れた。

今の私は、心臓の音を探しもがいているハシと一緒である。また、それが13本の世界では手に入らない、母親からしかもらうことのできないものあることも、キクを通してちゃんと理解している。

では、私はどこに行けばいいのか? 

その答えは、全く分からない。「コインロッカーベイビーズ」を読み、ああ、今の自分ってこういうことか、共感はできたものの、本書の中にその答えはなかった。

村上龍は、明確な答えを出さない。余地を残す。絶望の淵に立たせはするものの、落とさない。戻るか落ちるか、選ばせる。戻ることもできるんだぞ、と希望を目の前に置いていく。

ダチュラを使って、キクのようにすべてを壊してもいい。

私は、どうしたいのか。戻るか落ちるか。その答えは、あと数年生きてみないと分かりそうにない。

▼コインロッカーベイビーズ

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)